写真を撮るとき「あ~逆光になっちゃった」と悪者扱いされる場合が多いと思うのですが、実は「逆光」は絵画やデッサンでは、あるいは本当の写真撮影では実に大切なものなのです。ご存じでしたでしょうか?例えば円柱を描く時、理屈としては一番明るい所から暗い所へと白黒のグラデーションを作ればいいわけですが、それでは今ひとつ立体にならないのです。光が当たる側はトーンの変化で立体をあらわせるでしょうが、暗い部分が何なのか判らなくなる。そこで、物のいちばん暗い部分に光の反射、映りこみを描いてやるのです。それによって逆サイドにも立体を作れるのです。見た目としては一番暗い部分は端ではなく一歩手前になるのです。私の下手なデッサンを例に挙げるので見てください。リンゴとテーブルの境でリンゴの下の部分が少し明るく描いてあります。その部分のことです。ちゃんと形を追っていない場合は単なる反射光とも言えそうです。

逆光

写真や映像を撮るとき斜め上からライトを当てるのが普通ですが、プロはその逆の斜め下からもライトを当てます。あるいはレフ板を使ったりします。頭の後ろからも光をあてますよ。写真の世界では総称としてそういう技術をレンブラント・ライトと呼んだりするようです。実際、逆光を強調することで物はより立体感を持ち、さらには女性の肌のハーフ・トーンをきれいにします。本当ですよ。いい加減な写真スタジオでは逆光用のライトなんて当てませんのでご注意を。

で、その逆光というのが面白い…。光と陰という領域は人間には作り出せない。勿論人工の光も、それを調節する事も可能な訳ですけど、実質的には光と陰の領域は人間の領域ではない…はずです。例えば敬虔なキリスト教徒あるいはイスラム教徒の恋人に「貴方は私の女神だ」と言ったら、とんでもないそんな罰当たりなこと二度と言わないでくれと怒られるでしょう。それと似てます(あまり良い例ではない?)

でも人間、いやちょっと範囲を狭めて芸術家は逆光だけは作れるのです。人間の眼は明暗や色を絶対的な階級では捉えることができません。よって錯視を上手く利用すれば、逆光は故意に強調できる。多少強調しないと先に述べたように立体にならないのです。古典写実のレンブラントやフェルメール辺りが逆光の天才かな?いやいや天才は沢山います。逆光は陰影に限定されませんでした。セザンヌ、ピカソやマチス辺りはその卓越したデッサン力で陰影だけでなく輪郭まで変えてしまったのです。その後はご存じのようにあらゆる芸術家は逆光に住みつくことになる。ダリ、シャガール、デュシャン、クーニング、ポロック、ラウシェンバーグetc、結局絵画だけでなく、絵画の見方自体も、ひと通り作り直されました。

・・・多分逆光だけは人間に許された創造の場なのです。逆光をいじることが実は創作そのものだったのです。

と、思いますよ(^_^)。

Moon