先験塾のスタンス:
 
 唐突ですが、最近わたくし先験塾鈴木の部活やスポーツへの考えがはなはだ誤解されているようなので、この場を借りて説明致します。
まず根本的に私も中学時代、死ぬほど部活をしました。腹筋背筋腕立て、懸垂毎日100回、体操部に属して太田市では鉄棒、跳び箱、床すべてでシルバーメダル、個人総合準優勝でした。高校でも部活は美術部に属し1年生から部長になり、太田高校という進学校であるにも関わらず毎日夜の7時までデッサンをしていました。勉強もしましたが部活もしました。
 部活が悪い、スポーツが悪いではないのです。

 先験塾は生徒の学力向上を目的とした塾です。なのでその妨げになる考え方は出来るだけ避けたいと思っています。現場で生徒を教えて35年以上、その中で学力向上の条件として分かっていること…それは「しっかりとした個・自己を持つこと」です。しっかりとした自分を持つために生徒は武器が必要になる。生徒は自分を確立するために、社会で生き残るために、自ずと勉強に取り組むのです。
 逆に流される子は難しい。右に進むか、左に進むか判断をいつも他者の行動に依存してしまう。自分を強化するのではなく団体に所属することを武器にしてしまう。日本の公立学校は依然として団体行動ばかりを強調します。ご存じでしょうか?アメリカやカナダの学校には朝の朝礼さえありません。皆で集まるのは本当にまれです。いっぽう、北朝鮮のマスゲームを思い出して下さい。見方はそれぞれでしょうが、私はあまり気持ちいいものを感じません。むしろ自己を無くし誰かの言いなりになるためのように感じます。先験塾はそれとは逆のスタンスを目指しています。

 自己を強化するためのアイデンティティには何も口をはさみません。しかし単に団体に属すことでアイデンティティを得ているなら、それは違うと思います。
「教育は…平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
これは日本の教育基本法の第一条です。一見すると素晴らしい文章です。しかしどこにも個人の形成とは書いてありません。社会の形成者としての国民の育成です。社会的人間への教育です。これが日本の学校教育が団体行動こそが教育であるとする論拠になってしまっているのです。だから学校にとっては学力向上は付加的なことなのでしょう。しかし塾にとっての目的は生徒の学力向上です。そしてさらに私は子供たちに人間としての向上してもらいたいと思っています。ロボットAIは集合体としてのコピペで成長するのでしょう。しかし人間は個々の脳の中で間違いを繰り返しながら成長します。間違いをする前に右に倣えは危ういのです。自分を強くするための学習を停止することになります。上述した「しっかりとした個・自己・アイデンティティを持つこと」は学校の団体行動優先の考え方と逆になります。確かに群馬県民であること、日本国民であることもアイデンティティの一部にはなるでしょう。しかしたまたま乗車した列車が1号車だった、2号車だったが本当にアイデンティティとして頼れるものなのか?頼ったとしてそれで得られるものは?はなはだ疑問を持ちます。

 それからもう一つ、現実問題として利益を目的としたのスポーツの運営団体も多いのではないかと思います。そして熱血コーチならば生徒の時間的、精神的な拘束をする場合もありうると思います。そういった場合、子供には判断は難しいです。父兄の客観的判断が必要な場合があると思います。どうぞその辺もご注意して頂ければと思います。

長文となり申し訳ございませんでした。
先験塾 鈴木